ネットと未来

久しぶりに新書を読んだ。

中川淳一郎 (2013). ネットのバカ 新潮新書

ネットの変遷と現状に精通した著者の醒めた視点が面白かった。

テーマは「当たり前の世界になったインターネットで私たちはどう生きていくか」(p. 22)。

ネットは平等をもたらさない。現実よりも厳しい階級社会であり,現実で強い人がネットでも強い。

身もふたもないが,いろいろな情報を瞬時に検索できるネットの仕組みを考えたら,確かにそうなる。

大手通販がこれだけ普及し,街の小売店が閉店してしまうのも,ネットが強化した弱肉強食のルールである。

価格がつけられる工業製品なら,少しでも安いほうがいい。底値が分かってしまえば,高い値段を出して買うのは勇気がいる。何か別の理由をつけて,自分を納得させる必要がでてくる。

以前のブログにも似たようなことを書いたが,住んでいる世界の見通しがよくなればよくなるほど,素人の出番が少なくなる。以前なら「村で一番歌が上手な人」はちやほやされただろう。でも,広い世界を知ってみんなの目が肥えてしまえば,大したことがなくなる。これが幸せなことかどうかは分からない。ちやほやされなくなった本人はつまらない。どこかにいる「青い鳥」を追いかけて,身近なことを喜べなくなった聴衆も,たぶん幸せではないだろう。

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その一方で,ネットは以前なら世に出ることがなかったマイナーなものを探し出せる仕組みになっている。

クリス・アンダーソン (2006/2009). ロングテール(アップデート版)―「売れない商品」を宝の山に変える新戦略 ハヤカワ新書juice

1つのジャンルにおいて,注目される人物を1人だけ作り出すことができる。枠は1人だけである。

自分の土俵を作って一番になる。これも以前のブログに書いた。無名の人がネットを利用して注目を集めようと思ったら,これがたぶん唯一の方法だ。

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「20年後のソーシャルメディアは相当多くの高齢者による書き込みが増えるだろう」 p. 217

慧眼だと思う。今の心理学は,たとえばテクノロジーを高齢者が使いやすいようにするにはどうしたらいいかに取り組んでいる。

それはそれで大事なのだが,そういう問題は20年後(私が高齢者になるころ)には実質的に解決している。使いにくい製品は廃れていくし,その隙間を狙って,誰かが別の方法を考えるからだ。工学者やデザイナーの仕事である。心理学者はアドバイザにはなれるが,当事者にはなれない。

しかし,ソーシャルメディアの内外で人間がどう振るまうかといった問題に真剣に取り組めるのは,心理学者しかいない。

ネットは嫉妬まみれの人々を生んだ。日本中や世界中に比較対象が見えてしまうことは,ある意味でつらいことだ。嫉妬感情が高齢者にどのように作用し,現実世界にどういった影響を及ぼすか? そういったメディアの機能に注目した研究をしてみたい。

以前から,「新しい工学心理学」を提唱してきた。「工学心理学 engineering psychology」という分野は,「道具やシステムのデザインに応用できる人間の心理特性(能力や限界)について調べる基礎分野」と定義されている(Wickens et al., 2000)。※この教科書の第4版が2013年に出版されていたのにいま気づいた。執筆陣も増強されていた。

しかし,人間の心理活動はモノによって作られる側面がある。だから,モノづくりとは切り離して,モノとヒトの関係を研究することも,工学心理学の領域に入れてもいいのではないか。「認知工学」や「心理工学」ではない「工学心理学」である。

このアイデアは10年も前から温めているのだが(事象関連電位と認知活動:工学心理学での利用を例に),なかなか進まない。いつかは真剣に取り組んでみたい。

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