局所解と最適解

自戒を込めて言うが,大学教員は一言多い。

不動産業界では,大学教員はとても嫌われているという。

上から目線で,文句が多いからだそうだ。・・・耳が痛い。

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大学教員という仕事は,狭い専門に閉じこもってしまえば,「お山の大将」でいられる。

学生との地位の差はゆるぎないから,自分で探そうと思わないかぎり,自分が一番「えらい人」になる。

そうすると,弱い相手を理屈で追い詰めたり,相手を小ばかにしたり,イヤミを言ったり,説経を始めたりする。

「私は違う」というつもりはない。ただそうなりたくないとは思う。

大学教員の職業病という人もいるが,これは個人の人格の問題,あるいは「知的能力」の問題だろう。

自分の専門外のことについて,求められていないのに,自論を述べはじめる先生もいる。

専門家に対しては無作法だし,見ていても恥ずかしい。

その場面で何がもっともプラスになるかを考えようとすれば,どう振舞えばいいかに気づくはずなのに。

たいてい答えは2つに1つだ。

相手を勇気づけ成長できるような発言をするか,でなければ,黙っているかだ。

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局所解は最適解ではないことがある。

理屈で相手を追い詰めるのは,よいことではない。

弱い相手に対しては,卑怯である。

強い相手なら,相手の理屈で自分の考えを変えるはずがない。

結局のところ,「全体としてよい方向に進むにはどうするか」を考えるようにすれば,小さな自意識を客観視できるようになるのだろう。

自分と相性が合わなかったり,意見が異なっていても,その人がその人のやり方で社会に貢献してくれたらいいと考えられるようになれば,すっと心が落ち着く。

「日本人は自分の意見がない」とか「自分の意見を持ちなさい」とかいわれる。

でも,それはゴールではない。

自分を超えたもっと大きな何かに貢献する視点をもつことで,自分も他人も尊重できるようになる気がする。

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