今日は,夏目漱石(1897年[慶応3年]-1916年[大正5年])が没して104年目の命日である。
49歳で亡くなった。
処女作「吾輩は猫である」を書いたのは1905年(明治38年)であるから,実質11年しか作家活動をしていない。
高校生のころから,なぜか漱石にあこがれていた。
受講していた通信教育講座では,おこがましくもペンネームを「夏目漱石先生」とし,ときどき成績優秀者の欄に名前が出ていた。
大学に入って,同級生から「あれは君だったのか」と言われて,面はゆい思いがした。
先日,再会したとき,ふいにその話が出て,まだ覚えているのかと驚いた。
若いときには「若気の至り」で思い出したくないことも多いが,「漱石先生」を使っていたことについては,不思議と過去の自分を肯定できる。今でも敬愛の念がやまない。
惹かれたのは,たぶん自分と性格が似ている気がしたからだろう。
神経質であるところや,権威に対する反発心が強いところなどである。
漱石は,1911年に文部省からの文学博士号授与を辞退している。
「小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし,是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております。」
これを「反権威主義」という人もいる。
でも,これは「主義」といった高尚なものではなく,いわゆる「権威」というものに対して反射的に胡散臭さを感じることに起因しているのではないかと私は思う。
初期の小説「坊ちゃん」などにも,それは戯画化されて描かれている。
私は「学会」といった組織があまり好きではない。
そこに「権威」のにおいがするからだと思う。
特に,大きくなって,自分で汗をかかない人が多くなった組織は,胡散臭いと感じる。
自分が真面目に関わっている学会では,人一倍,汗をかくようにしている。
それができなくなったら,去るようにしている。
名前だけの名誉職はいらない。
漱石が,晩年に久米正雄と芥川龍之介に送った手紙については,以前のブログでも書いた。
「どうぞ偉くなって下さい。しかしむやみにあせってはいけません。ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です。」
このような言葉を若者にかけることができたのは,漱石自身が無暗にあせって生きた時期があったからだろう。
漱石が亡くなったのと同じ歳に自分もなり,感慨深いものがある。
これからどれだけの作品と言葉を残せるだろうかと考えている。