既視感

最近の大学はいろいろと仕事が増えた。

国からの指示になんとか応えようと必死になり,教員は右往左往している。

このような時代の空気をどこかで見聞きした気がしていたが,ようやくその正体が分かった。

太平洋戦争のときの日本だ。

百田尚樹・渡部昇一 (2013) ゼロ戦と日本刀 美しさに潜む「失敗の本質」 PHP研究所

戦争に負けた理由として,

大局的な戦略眼のなさ,上層部の臆病さ,内部の覇権争い,現場(若者)の酷使,精神主義,・・・

といったことが,日本の特質として描かれている。

何も変わっていないではないか。

著者の書いていることが,どこまで史実であるかは確認していない。しかし,私が祖父から聞いた話からすれば,日本軍の性質については,そう見当はずれではなさそうだ。祖父は海軍で,南方戦線から命からがら復員した。ゼロ戦ではなく「零戦(れいせん)」とよんでいた。亡くなって15年になるが,死ぬ間際に,夢に戦友が迎えにくるんだよと話してくれた。純粋で優しい人だった。

本書のなかで,渡部昇一の

「公務員は富を生みません。国家をよりよく運営するために,富を消費するのが公務員の仕事です。」

(p. 154)

という言葉には納得した。

消費する人には,生産する人のメンタリティは分からない。

ゼミの学生にも,「消費者になるな,生産者になれ」と言っている。学生の中には,たくさん論文を読むし議論も好きだが,論文を書かない人がいる。それでは消費者である。発表してはじめて,生産者になれる。生産者だけが知的プロフェッショナルである。生産するために消費するというサイクルは,意識して努力しないと身につかない。

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なぜ戦争なのか。

毎週メールで送られてくる20誌くらいの専門誌の新着論文をチェックしている。

認知神経科学分野における中国の伸びは著しい。玉石混交のきらいはあるが,そのパワーには刮目すべきものがある。

この分野に取り組んだのは,明らかに日本が早かった。しかし,生産性の点で,日本が遅れをとるようになったのは,ほぼ確実だ。歯がゆいことだが,現実は認めないといけない。

個別の研究の質はともかく,総合力では負けている。これは,少数生産の工芸品として戦闘機や戦艦を作った日本軍と,最初から大量生産を考えたアメリカ軍の違いとも似ている。

スポーツの世界でもアカデミックな世界でも,トップを争うのなら,それは戦いである。

戦うからには勝たないといけない。

日本は,現場の個人が優秀だから,何とか体裁はつくろえる。しかし,長期戦には耐えられない。

負け戦を強いる,あるいは負けないという詭弁を弄する人たちとは,一緒に仕事をしたくない。

負ける戦いを部下にさせてはならない。自分がゼミを運営していく上で,特に気をつけていることだ。成果を出す手助けができないなら,リーダー失格である。

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世界大学ランキングというのがある。国立大学は上位を目指すように尻をたたかれているが,入試の偏差値主義と変わらない。

同様に,インパクトファクタという尺度も好きではない。人のふんどしで相撲を取っている気がするからだ。インパクトファクタを気にする人は,「偏差値の高い○○大学に入れたから偉いでしょう」と言う人と同じくらい,うさんくささを感じる。大事なのは,読んでもらえる論文を書き,読んでもらえる場所に発表することであり,それ以上でもそれ以下でもない。

「ノーベル賞受賞者が学術雑誌をボイコットする理由」(2013年12月20日)
http://wired.jp/2013/12/20/randy-schekman/

今後,日本の人口構造が変わり,国力は低下していく。

そういうときは,「ナンバーワン」よりも「オンリーワン」(ニッチにおけるナンバーワン)を目指し,獲得できる確率が高い拠点に集中し,総力で押えていくのが戦略のセオリーだろう。

オセロゲームでも,隅をとることができれば,誰にも脅かされない。

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私は評論家ではなく,現場で働く人間である。

文句ばかり言って,先に進まないのは,はずかしい。

自分という資源を無駄遣いしないためにも,来年の新しい挑戦を前向きに考えている。

学生を指導することや,心理学の知見を紹介することを通じて,人を喜ばせたい。その仕事に全力をかけたい。

それを応援してくれる職場を探している。

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