キューバでの学会

新しい職場に移って初めて,海外で開催される国際会議に参加した。キューバのハバナで開催された第18回国際心理生理学会議(IOP2016)である。この会議は2年に1回開催される。前回の第17回会議は広島で開催した(ブログ)。あれから2年も経つかと思うと,感慨深いものがある。今回再会した海外研究者からは,例外なく,記憶に残る素晴らしい学会だったと声をかけられた。他人が喜ぶように苦労すれば,それだけ自分も報われるのだなと改めて感じた。

今回の会議直前に選挙があり,事務局長(Secretary,任期6年)に再任された。正確には,ほかに手をあげる人がいなかった。自分の学問的実績の乏しさを考えると,尻込みする大役である。一方で,この役割は名誉職ではなく,いろいろと面倒な実務がある。学会を運営するには,学術的に優れたスターだけでなく,地道にサポートする実務家も必要である。「あの程度の人でも国際学会の運営に関われるのか」と自信を持つ人が生まれ,次に活躍する人が現れてくれば,それでいいだろう。冷や汗をかきながら,何とか役目を果たそうと思う。

さて,キューバである。スペイン語圏であるが,スペイン語を話せる人に言わせると,かなり方言がきついようである。ホテルや観光地では英語が少しだけ使える。カリブの陽気な国であるが,旧東側諸国でみられる様式の古い高層建築が社会主義国であることを思い出させてくれる。モノがないという意味で「貧しい国」である。スーパーマーケットに行っても,空っぽの棚が多い。商品はあっても,選択できる種類はない。大袋に入った米(主食)や油など,1種類の商品だけが置いてある。スナック菓子やチョコレートなどは,ガラスケースにぽつぽつ陳列されているほど数が少ない。店を出るときは,万引き対策で手荷物のチェックがあった。

そうであっても,人々は概して楽しそうに暮らしている。教育と医療が無料で受けられるため,ホームレスを見かけることもない。職場の仲間が出会うと実に楽しそうに握手をしたりハグしたりするのだが,その笑顔は実に輝いている。タクシーの陽気な運転手に「キューバは初めてか」と片言の英語で聞かれる。「そうだ」と答えると「私もキューバは初めてなんだ」と言う。「一度も出たことがないから初めてのままなんだ。いいところだろう?」と。

キューバのような国にいると,どうしても「幸せ」について考えてしまう。一般人の平均収入は月に2,500円程度という。一方で,日本にはモノがあふれるほどある。物質的には富んでいるのだが,いつでも忙しくしていて,人生を楽しんでいるようには見えない。あらゆる面で他人と比較し,競争するのが美徳とされている。最初からモノがなく,手に入る可能性もなければ,欲しくなることもない。どんな仕事をしても給料が変わらなければ,みんなそれぞれそのままでいいという考え方になるだろう。とはいえ,ラテン系の陽気な明るさと,何とかなるさという楽天主義が,この国の人々を根底で支えている気がする。私たちにはいい意味でも悪い意味でも真似できそうにない。

そういうキューバも変わりつつある。外国人相手に商売をする自営業者は1日で数万円を稼いでしまう。空港から市内までタクシーで40分程度だが,3,000円から3,500円が相場だ。知恵を使えば,ほかの人より儲けられる。そうして格差は増えていく。近いうちに,キューバは大きく変わるかもしれない。物質的繁栄と人間の幸せとの関係を考える大きな実験がいま行われている。

そんなキューバでなぜ心理生理学会議を開くのかと不思議に思うかもしれない。理由は,実際にレベルの高い研究が行われているからである。キューバは医療と福祉を充実させることを革命の大きな目標として掲げ,多数の医学部を設立した。今では人口1,120万人に対して医師は76,000人を超えている(医師1人あたりの住民数147人,外務省のページ)。日本は,医師1人あたりの住民数は400人だから,2.5倍以上である(2014年,厚生労働省のページ)。小さな島国だから頭を使わないといけないんだと,今回の主催者も会食の席で言っていた。実際,中南米の他の国などに医師を派遣することで,見返りに石油を割安で輸入している(伊藤千尋 2016 キューバ:超大国を屈服させたラテンの魂 高文研)。

広島大会が日本の研究を世界に紹介する機会になったように,ハバナ大会は中南米の研究を世界に紹介する機会になった。ふだんの学会では出会うことの少ない,黒褐色の肌をした参加者を見かけることも多かった。世界中に研究者がいることを知り,1-2年に1回でも顔を合わすというのはうれしいことである。次回の2018年大会は,ヨーロッパに戻り,イタリアのルッカという中世の街並みを残す町で開催される。

追記:
キューバに入国するにはツーリストカードが必要である。これは日本の領事館で直接または郵送で入手することができる。直接の場合は2,100円,郵送の場合は5,600円かかる(「地球の歩き方」のページ)。私は郵送で2週間ほどで入手できた。他の国から参加した人に聞くと,ネット上のエイジェントから購入して郵送してもらうこともできるらしい(http://www.cubavisas.com/)。ただ,中には注文したが届くのが間に合わなかった人もいるようだ。また,ガイドブックには,出国税が必要だと書かれているものもあるが,現在は航空券の料金にすでに含まれている。

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