心理生理学を学ぶ意義

九州大学の文学部で,「心理生理学の基礎と応用」という集中講義をする機会に恵まれた。ほとんどが学部生だったが,熱心に聴いてもらえた。

心理学の学生には,「認知心理学」や「社会心理学」と同様,「生理心理学」と呼ぶ方がなじみがあるかもしれない。

しかし,認知心理学は「認知についての心理学」であり,社会心理学は「社会(対人)についての心理学」であるが,生理心理学は「生理についての心理学」ではない。

学生にも質問されたので,用語を整理しておく。

日本でいう「生理心理学」には,「生理学的心理学(physiological psychology)」と「心理生理学(psychophysiology,精神生理学)」という2つの下位領域がある。

生理学的心理学は,主に動物を対象として,生理的な変化が行動に及ぼす影響を検討する。生物心理学(biological psychology)と呼ぶこともある。

一方,心理生理学は,人間を対象として,心理状態や心理過程とともに起こる生理的変化を測定し,心と身体の関係を検討する。

---

このように説明すると,

心理生理学は,生理反応を測定する「術(方法論)」であって,「学(知識の体系・枠組み)」とは言えないのではないか?

と聞かれることがある。

もし 心理生理学が「術」であれば,生理反応を測定した経験も測定する予定もない大勢の人にとって,この分野はまったく意味のないものになってしまう。

この問いに対する答えを,以前からずっと考えてきた。今回,集中講義における学生の反応を見て,自分なりに納得できる結論にいたった。この機会にまとめておきたい。

---

心理生理学は,人間についての一つの視点・枠組みを提供するものであり,体系的な知識と方法論が組み合わさった「学」である。

だから,心理生理学を学ぶことは,生理反応を測定しなくても,人間の心に関心を持つすべての人に有益である。

心理生理学の核心にあるのは,

人間の心を「主観(現象学)-行動-生理(身体)」の3側面からとらえる

という考え方ではないかと思う。任意の3側面ではなく,この3側面しかないというのがポイントである。心の三角測量(triangulation)と呼ばれることもある。

主観的側面は,我々の認識の原点であるから,外すわけにいかない。質問紙やインタビューによって探ることができる。その人がどのように世界を見ているかは,直接聞いてみなければ分からない。

行動的側面は,主観と違って外部から客観的に観察できるから,科学的な心理学で重視される。しかし,もっと大事なのは,3側面のなかで,唯一外界と接しており,外界を変える力を持っていることである。

主観と行動という2つの側面があることは,誰もが理解している。心理学の初歩で学ぶし,頭で分かっていても行動が伴わないという実体験からも分かるからだ。

これに対して,生理的側面が心とどのような関係にあるかは,なかなか理解してもらえない。今回の集中講義でも,最初のうちはピンとこないと感じている学生も多かった。

「主観・行動 vs. 生理」という二項対立をイメージしている人もいる。「主観や行動には生理的基盤がある」 という理屈は正しい。しかし,そうすると主観と行動に本質的な違いがあることを見落としてしまう。また,主観や行動はすべて生理学的に説明できるという還元論になってしまう。だから,3つの側面は並列して考えないといけない。還元しないというところに,心理生理学の核心があると思う。

--ー

生理的側面を考慮するとは,人間が生物であることを忘れないようにすることである。

この発想は,人間の心の仕組みを考えるときの補助線になる。そして,私たちが進化の歴史(もっといえば宇宙の歴史)の一時点に存在していることに思いをはせるきっかけにもなる。

心理生理学を学ぶメリットは,生理反応測定の技術を身につけることだけではない。

そのような手法について具体的に学ぶことで,人間に対する認識が変わるのである。

我々の意識や意志とは無関係に,そこに存在する実体。過去の歴史を遺伝子として内包し,将来につなげていこうとする存在。そのような私たちの側面を考慮するということである。

このような認識は,「人間の心には生理的基盤がある」という抽象的な知識を持つだけでは得られない。

具体的な方法論を学べば,生理反応の測定といっても,確実な方法が1つだけあるわけではないことが分かる。実際には,多種多様な方法を使って,手を変え品を変えしながら,身体情報を部分的に読み取ってくる。

「生体反応の全体は見えない」という現実を知ることは,人間に対する畏敬の念につながる。その上で,見えない全体像を多面的なデータを使って何とか想像しようと努力することが,人間を深く理解することにつながるのではないか。

--ー

心理生理学では,心を生理学に還元せず,3側面からとらえる。だから,人間をトータルとして,「全人格」としてとらえることでもある。

人間を分割できない全体としてとらえる発想は,最近また注目されてきたアルフレッド・アドラーの思想にもつながるし,その影響を受けたウィリアム・グラッサーの思想でもある。グラッサーについては,以前のブログでも紹介した。彼は,行為・思考・感情・生理反応という4本柱を立て,それらをセットにして全行動(total behavior)と呼んでいる。私がグラッサーの理論を気に入っているのは,生理反応をしっかりとモデルに組み込んでいるからだ。

このあたりの議論はもう少し整理が必要だが,「生理反応測定をしない人のための心理生理学」の意義を引き続き考えていきたい。

タイトルとURLをコピーしました