論文100本

10年ほど前,ライプツィヒ大学にあるヴント(Wilhelm Wundt)記念室を訪ねたことがある。

ヴントは,実験心理学(生理学的心理学)の父といわれるが,60代の後半から「民族心理学」全10巻を著すなど,幅広い分野で著作を残している(88歳で逝去)。

記念室には数々の著作が展示してある。

同行したヨーロッパの研究者がそれを見て,「査読がなければ俺もこのくらい書ける」と豪語していた。

気持ちは分からないでもない。

でも,誰かに批判的に読んでもらわずに,そんなにたくさんの学術書を出版できる気がしない。

日記やブログと違って公共的な学術書を,誰の意見も聞かずに出版するのは,私には怖くてできない。

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査読付論文の数が100本に達した。最初に論文を書いてから20年が経った。

記念すべき100本目は,研究を始めて7年目に入った「かわいい」研究の集大成である英語の総説(opinion paper)である。

この論文は去年の8月に修正意見付きでアクセプトされていたが,ようやく最終稿ができた。

「かわいい」は,ベビースキーマや幼さに対する反応ではなく,さまざまな刺激属性を認知的に評価することで生じる感情であると述べ,幼いものの身体的魅力をさす狭義のcutenessとは違うと明言した。”かわいい”感情は,「ポジティブである,脅威を感じない,適度に覚醒的,接近動機づけがある,社会的交流を求める」といった特徴で表現できる(詳しくはこちら)。

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査読付論文といっても,紀要から専門誌まで,さまざまである。

査読者やエディタに悪い評価をされると落ち込むが,最近は少し面の皮が厚くなった。

著者ではなく,査読者やエディタに非があるケースも分かるようになってきた。

知識不足から偏見まで,理由はさまざまであるが,エディタが完璧でないのは,自分も経験者だから分かる。

人前に出す原稿なのだから,査読の有無にかかわらず,そのときの全力を尽くし,手を抜かない。
手を抜いたら,きっと後で後悔する。怖がりの私は,いつもそうしてきた。

ディジタル化社会になり,一度出版したものは二度と消えることはなくなった。
恐ろしいことだが,不安に打ち勝つには,全力を尽くしかない。そうすれば,あきらめもつく。

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それぞれの論文に精一杯取り組むのだが,出来のよいものと悪いものがある。

面白いことに,自分の評価と世間の評価がずれることもある。

たとえば,

Nittono, H., & Wada, Y. (2009). Gaze shifts do not affect preference judgments of graphic patternsPerceptual and Motor Skills, 109, 79-94.

という論文。

これは,下條信輔先生のグループが提唱した「視線カスケード効果」の追試・拡張である。

Shimojo, S, et al. (2003). Gaze bias both reflects and influences preferenceNature Neuroscience, 6, 1317-1322.

当時注目されていたこの仮説を,2つの実験で慎重に検討し,再現できないというネガティブな結果を得た。

試行ごとの眼球運動を細かく分析すると,原著者の提唱するメカニズムには無理がある,少なくとも一般化できないという結論になった。

ネガティブな結果というのは,たいていは良い雑誌に載らない。この論文も一流誌とはいえない雑誌に掲載された。

Web of Science (Publons) によると,現時点で7回しか引用されていない。

しかし,その後いろいろな研究者が追試をして,「視線カスケード効果」はおおむね否定されているようだ。

「ありそうなこと」と「ありえない」ことを,緻密な分析によって論理的に区別した。

地味だが,印象に残っている論文である。

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100本ということで,何となく気持ちに区切りがついた。

今後は,もっと勉強して,もう少しまとまった単行本を書いていきたい。

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