ヤマを張る

学生のころ,試験でヤマを張って当たったことがない。

(山を張る/掛けるとは,「鉱脈を掘り当てる」からの転用で,幸運をねらって物事をするの意。)

もともと,ヤマを張るより,まんべんなく勉強する性格なのだが,試験に出そうな箇所を友人と言い合ってもほとんど当たらなかった。

自分は勘が悪いと思っていたが,最近読んだ本で,納得のいく説明を見つけた。

著者によると,知識のないことが役立つ状況もあるという。たとえば,アメリカの都市デトロイトとミルウォーキーではどちらが人口が多いか? アメリカ人大学生の正解率は60%ほどだったが,ドイツの大学生はほぼ全員正解した。

ドイツ人の大半は,ミルウォーキーという都市を聞いたことがない。だから,「片方の名前を知っていて,もう片方の名前を知らなければ,知っている方が大都市である」という再認ヒューリスティックを使い,「デトロイト」と直感で正しく判断できたという。これに対して,アメリカの大学生は,どちらの都市もなまじ知っていたので,たくさんの知識が錯綜してしまい,判断が混乱したらしい。

そう考えると,試験前にまんべんなく勉強してしまったら,再認ヒューリスティックが使えなくなる。他のものに比べて何が重要かという直感が働かなくなるので,ヤマが張れなくなる。あまり勉強しなければ,授業中に聞いて何となく印象に残っていること(実は,それは教師が繰り返した重要なことかもしれない)が分かるのだ。

では,よい成績を取るにはあまり勉強しないのがいいかというと,そうでもない。同じ本のなかに,投資においてリターンを最大化しリスクを最小化するパターンというのが紹介してある。「N個の投資先それぞれに均等に配分せよ」というものである。将来が複雑で予想できないときは,過去のデータに頼らず,単純な方略をとるのがよいらしい。

この理屈を試験に適用すれば,何が出るか分からないテストでは,ヤマを張ろうとせずに,まんべんなく勉強するのがもっとも確実な方法ということになる。

この本から学んだ別の教訓は,自分があまり知らない領域を探していけば,私でもうまくヤマが張れるのかもしれないということである。

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