新型コロナウィルス感染症の感染拡大が少し落ち着いてきたようにみえる。人々は新しい生活様式にだんだんと慣れてきたのだろうか。大学も対面授業に戻りつつある。
縁あって,今年から放送大学で教壇に立つことになった。頼まれて書いた原稿を以下に転載する。
何かのヒントになればいいなと思う。
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「かわいい」のちから
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この原稿を書いている8月中旬には,新型コロナウィルスの新規感染者数が全国で連日1,500人を超えています。どこまで増加が続くのか分からない不安と,せっかくのお盆休みを自粛しながら過ごさなければならないストレスとで,人々は殺気立っているように感じます。その不平不満を吐き出すためでしょうか,テレビやネットでは,常に誰かが叩かれています。政治をつかさどるリーダーの「無能無策ぶり」や芸能人の「スキャンダル」は,責められてしかるべきなのかもしれません。いっせいに持ち上げていたかと思うと,ふとしたきっかけで,急に手のひらを返して梯子を外す。そんな,まるでジェットコースターのような世の中を生きにくいと感じるのは,私だけではないでしょう。
私の専門は実験心理学です。人間の心や行動の一般法則を実験という手法によって明らかにしようとする分野です。10年ほど前から,「かわいい」と感じる心の状態に関心を持ち,研究を続けてきました。昨年,その成果を『「かわいい」のちから』(化学同人)という一冊の本にまとめました。
「かわいい」には,「対象に接近したい」「人とつながりたい」という気持ちが含まれています。しかし,現在は「人と距離をとりなさい」「6フィート(2メートル)以上離れなさい」というソーシャルディスタンスが世界中で要請されています。こんな時代には「かわいい」という気持ちが委縮してしまいそうです。でも,そうではありません。ソーシャルディスタンスとは,周囲の人との距離を自覚しなさいということです。「かわいい」と感じるためには,実は適度な距離が必要です。距離をとることは「かわいい」にとって悪いことではありません。近すぎたら,逃げ道がなくなって,自分に危害が及ぶと感じてしまうからです。子どもや親しい人に対しても同じです。家の中にこもっていたら,「かわいい」という気持ちも,感謝の気持ちも減ってしまうでしょう。他者との距離を自覚することは,ふだん衝動的に行動しがちな私たちが,いったん止まって自分の心の動きに注意を向ける良い機会になるはずです。あえて距離をとり,「かわいい」という気持ちを自分の中で咀嚼して味わうことで,いっそう豊かな「かわいい」体験が生み出されてくるはずです。
「かわいい」に対応する英語はないと言われますが,「やさしさ(tenderness)」と関連づけられることがあります。仏教の言葉では,慈悲あるいは喜の心といえるでしょう。THE BLUE HEARTSの名曲『TRAIN-TRAIN』(1988年,真島昌利作詞)の中に,「弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく」という歌詞があります。「弱い者」に対してやさしい気持ちを持てるようになることが,いずれは(あるいは突然に)弱い者になりうる私たちが心おだやかに暮らすための,遠回りのようでストレートな道です。まずは,かわいいものを「かわいい」と素直に感じられる気持ちを取り戻しましょう。そして,自分自身を(不完全で弱いけれども)「かわいい」と思えるようになりましょう。長丁場となるコロナ禍からの回復過程において,新しい「かわいい」の力がきっと役立つはずです。
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出典:放送大学大阪学習センター機関誌「みおつくし」 2020年10月号 巻頭言
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