2012年に「かわいい」の研究がメディアから注目されたとき,こんなことを陰で言われた。
「ああいう研究を始めると研究者として終わるよ」
妬みと軽蔑が入り混じった,そういう人たちの気持ちも理解できなくはない。
ただ,分かっていないなという気もする。
研究者を「研究者」たらしめるのは,テーマではなく,世界と向き合う姿勢だと思う。
ウィリアム・ジェームズ (1842-1910) も,著作『心理学原理 (The Principles of Psychology)』(1890) によって科学的心理学の父のように尊敬されていた一方,本人は実験心理学から徐々に離れ,科学がすべてではないという立場を示すようになった。1894年には,アメリカ心理学会(American Psychological Association)の会長になるととともに,アメリカ心霊現象協会(American Society for Psychical Research)の創設メンバーにもなっている。
このような行動は,心理学を科学として確立しようとする人たちからは,こころよく思われなかっただろう。「ああいう研究を始めると研究者として終わるよ」と陰で言われたにちがいない。
このあたりの話は,以下の本に詳しい。
藤波 尚美 (2009). ウィリアム・ジェームズと心理学―現代心理学の源流 勁草書房
思うに,ジェームズは心霊現象に対しても真剣に向き合っていたのだろう。
分からないことについて,分かったような顔をせず,自分の範疇ではないと切り捨てることもせず,好奇心をもって向き合う。新しいことに対して,常に心を開いている。
このような姿勢がない人は,伝統的なテーマを扱っていたとしても,「研究者として終わっている」と私は思う。
年をとればとるほど,考えを変えるのが億劫になる。でも,研究者でありつづけたいと思うなら,常に新しいことにチャレンジし,自分を変えていこう。
「Youth is not a time of life; it is a state of mind(若さとは人生のある時期を指すのではない。心の持ち方のことだ。)」
というのはサムエル・ウルマン (Samuel Ullman) の”Youth”)という詩の一節である(日本では「青春」の詩と呼ばれる)。これはそのまま研究者にも当てはまる。
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「かわいい」の研究は,日本の心理学会ではなかなか評価されない。
科研費は何年間も不採択が続いている。
ただ,海外から徐々に注目されるようになってきた。
最近は,次のような論文が出版された。どちらも私の論文を引用している。
Kringelbach, M. L., Stark, E. A., Alexander, C., Bornstein, M. H., & Stein, A.
(2016). On cuteness: Unlocking the parental brain and beyond. Trends in Cognitive Science, 20, 545-558. doi:10.1016/j.tics.2016.05.003
Buckley, R. C. (2016). Aww: The emotion of perceiving cuteness. Frontiers in Psychology, 7:1740. doi:10.3389/fpsyg.2016.01740
日本の学会(あるいは日本人一般)のクセで,一度海外を通さないと,研究する価値があると認めないのだろう。
今後の展開が楽しみである。