元プロテニス選手の松岡修造さん。
いろいろな分野で活躍する熱い人だという印象があった。
しかし,ただの物好きでそうしているわけではないらしい。
数年前の新聞インタビューでこんなことを言っていた。
30歳で第一線から退いたあと,長年の夢だった若手の発掘・育成機関「修造チャレンジ」を設立した。
「選手の育成はビジネスにするつもりはなかったので、テニス以外の仕事のオファーは何でも一度はやろうと考えた」(産経ニュース 2011.10.22)
なるほどと思った。そして,反省した。
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自分が本当に大切にしたいことは,ビジネスにしないほうがいい。
価値を生み出すという意味で「金になりうる」のだが,節操なく行えば,魂を売ることになる。
大学教員というのは「教育職」なので,主に教育のために給与が支払われている。
私が研究所ではなく大学に勤めたかったのは,研究よりも教育に魅力を感じているからだ。
しかし,上記の理屈でいえば,それは間違っているのかもしれない。
現在は,大学改革が進められており,どうやって政府から予算をもらうかで,みな戦々恐々としている。
自分が望ましいと思う教育とは違った振る舞いを求められることがある。
「違った」どころではなく,「あきらかにおかしい」指示もある。
それが職務命令であれば,従うよりほかない。
それに現場で働いているのは悪い人ではない。無力なだけである。だから,心情的には彼らに協力したい。
とはいえ,この先ずっと自分を曲げ続けることは苦痛に思える。
自分が本当に大切にしたいことは,生活の糧にしないほうがいいようだ。
教育は,特にそうかもしれない。
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では,何によって収入を得るか?
修造さんのように,どんな仕事のオファーも断らず,何でも引き受ける覚悟があるか?
本当に大切にしたい仕事に損得抜きで取り組むために,面子や恥ずかしさなどを笑い飛ばせるか?
学生に「働くこと」「日々の糧を得ること」の意味を深く考えてもらうことを教育目標にしてきた。
今年は,私自身がこの問いを改めて考えていきたい。