大学の講義科目は,90分授業が15回で,2単位として認定される。
このような授業,一体いくらで引き受けるのか?
--
大学の授業は,常勤講師が担当することもあるし,非常勤講師が担当することもある。
非常勤講師は,個別に交渉して値段を決めることはない。
各大学に規定があり,それに沿って決まった額が支払われる。
大学によっても違いがあるが,非常勤の場合,およそ1回の授業あたり 12,000円程度(税引前)である。
授業から成績評価まで,半年間のすべての仕事を行って,およそ 18万円 である。
90分の授業で12,000円もらえるのだから,そのまま時給に換算すると,高給のように見える。
しかし,授業の準備やテストの採点などの時間を考えると,実質的な時給はそれほどでもない。
また,ふつうのバイトとは違って,そう簡単に勤務時間を増やせない。
だから,非常勤講師の収入だけで生活していくのは厳しいと思う。
このあたりの内実は,次の本に詳しい。
林 克明 (2014). ブラック大学 早稲田 同時代社
--
私は,本務校での授業担当が多いので,集中講義以外で非常勤を引き受けたことがない。
だから,この話を当事者として語ることはできないが,この金額をみると複雑な思いがする。
まず,学生の立場で考えてみる。
たとえば,受講生が40人の授業。
90分授業につき,講師に12,000円支払われるとすれば,受講生ひとりあたり300円支払うことになる。
弁当代にも満たない。映画だって1,500円以上払うのに。
もちろん場所代などの経費はかかるから,受講生の支払いはもっと多いだろう。
それにしても,講師との関係において,
「300円払って90分の話を聞かせてもらっている」
「4,500円で半期2単位分の指導をしてもらっている」
ということを知ったら,学生の良心が痛まないだろうか。
私だったら,もう少し払ってもいい(ただし「いい講義」に限る)。
新しい授業や講演を行うときは,準備に相当な時間がかかる。
私なら,話す時間の10倍はかける。
1時間の講義をするなら,スライドは60-70枚つくる。最初から準備すると,軽く10時間はかかってしまう。
もちろん長いこと講師をしていれば,スライド資料がたまってくるので,使いまわせば楽になってくる。
それでも,毎回,新しいネタを取り入れていかないと,話すほうも聞くほうも緊張感が減ってしまう。
このあたりは,講師によって考え方が違うかもしれない。
しかし,「いいものには元手がかかる」のは,どの世界でも同じだ。
--
そうはいっても,今後,非常勤講師の単価が上がるとは思えない。
供給過多の状況だから,誰かが辞めても,やりたい人はたくさんある。
さらには,大学の授業のありかたも変わりつつある。
2008年ごろから,インターネットで誰でも無料で受講できる講義が始まった。
世界中の有名大学が参加し,MOOC(Massive Open Online Course,ムーク)と呼ばれる。
大学ではないが,TED(過去のブログ)も似たような役割を果たしている。
これからの時代,大学における従来の講義は,そのようなオンライン有名講師の講義と張り合うことになる。
学生一人ひとりが使える時間は限られているから,どの講義に時間を投資するかは彼らの選択次第である。
ちょうど,大手予備校のサテライト授業と小規模学習塾の関係かもしれない。
しかも,MOOCは無料である。
自戒を込めて言うのだが,学生がTEDなどの練り上げられたスピーチで目を肥やしたら,たいていの大学の大人数講義は物足りなく見えるだろう。
--
従来の大学では,設置基準にしたがった授業科目が先にあって,そこに講師が割り当てられる。
だから,講師はそれなりの学歴があれば誰でもいい(だから,授業1コマの価格が均一になる)。
大学以外の世界だったら,同じ内容であっても誰が話すかによって価値が変わる。
前座の落語会と,真打の落語会では,チケット代が違う。
もちろん,センスのある前座や元気のない真打もいるから,これは階級というより個人の問題だ。
交換可能な歯車であるかぎり,一見「知的な職」であっても,値段が下がる。
「大学院を出たから,知的な職だから,給料も高くすべきだ」という発想は通用しなくなる。
どうやって,交換不可能な「個人」になるかが問われている。
そのためには,すでにあるパイを奪い合うのではなく,自分で何かを作り出さなければならない。
--
今後,少子化を迎え,大学のあり方は大きく変わってくる。
知的労働者の働き方も大きく変わるはずだ。というよりも,変わらなければ没落していく。
おそらく大学・研究所以外の,第3の「知の拠点」が生まれてくる。
それが日本でどのような形をとりうるのかを,ずっと考えている。