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『私の一冊』

『私の一冊』

雑事に追われ,更新する気力がないまま,1年以上過ぎてしまった。

先日,人間科学部1年生の必修授業における副読本『私の一冊』の改訂を頼まれた。新入生に勧めたい本を紹介するものである。

2年前に書いた原稿は,インパクトが強かったらしい。レポート課題にその本を取り上げる学生が多くてバランスが悪いから,他の本を紹介してほしいと言われた。

久しぶりに書いたエッセイなので,以前の原稿と一緒に載せておく。


 科学者というのは,頭をいっぱい使って複雑なことに取り組んでいる人というイメージがある。でも,彼らが目指しているのは,本当は「シンプルさ」である。複雑なことを複雑なまま扱うのではなく,少し単純すぎるかなというくらいにシンプルに解き明かしてみせる。シンプルにすることで,人を動かす力が出てくる。それぞれの人が「自分にもできそうだ」「自分ならこうする」と自由に発想できるようになる。その種をまくことのできる人が優れた科学者であり,この本の著者は間違いなくその一人だ。

 金出武雄先生は,1945年生まれのコンピュータ科学者で,カーネギーメロン大学教授。人工知能による視覚やロボット研究における世界的権威である。この本には,アメリカで30年以上の研究生活を送るなかで得たノウハウや視点が,惜しげもなく語られている。タイトルになっている「素人発想,玄人実行(素人のように考え,玄人として実行する)」は,多くの事例から確信した研究開発の秘訣であるという。発想は,素人のように単純,素直,自由,簡単でなければならない。でも,それを実現するには,玄人としての知識や技術が必要である。その両方が欠かせない。

 読みやすいエッセイではあるが,この内容は著者にしか書けない。たとえば,日本から講演のためにやってきた若い企業技術者にアドバイスする場面がある。「用意したスライドを後ろから逆に使ったらいい。」 日本では,研究の背景から現状,方法などを順に説明するのがよいと教えられる。でも,せっかちなアメリカ人なら途中で帰ってしまう。そこで,いつ帰ってもいいように,よいスライドから順番に使え(ベストファースト)と助言したのである。その研究で何が分かったのか何ができたのかという結論を最初に伝える。結論がつまらなければ,聞く意味がない。結論が面白ければ,どうしてそこにたどりついたのかという謎解きを,興味深々で聞くことになるだろう。

 他にも,名言がいくつも出てくる。「解く価値のある問題を探せ」「アイデアは人に盗まれない」「構想力とは問題を限定する能力である」。こうやって書いているだけで,わくわくしてくるし,前向きな気持ちになってくる。私が,現在「かわいい」に関する実験心理学的な研究を行っているのも,このような姿勢に深く感銘を受けたからである。

 新入生のみなさん,学問の入り口に立った今だからこそ,ぜひシンプルに考え,解く価値のある問題を探してください。この本には,そのためのヒントがたくさん詰まっています。

(2018年2月10日)


 人間科学部に入学した君たちは,きっと「人間」に強い関心を持っているのだろう。もっと言えば,「社会はこれからどうなっていくのか」「自分はどう生きたらいいのか」を期待と不安のなかで考えていることだろう。27年前に入学した私も同じだった。右も左も分からず,ひたすら本を読み,友人と議論したのを思い出す。勉強すればするほど,自分よりもすごい人がいると分かる。未熟な自分がこれからどうなっていくのか,とても不安だった。

 そのころの自分に,私はこの本を薦めたい。物語の形式をとったビジネス書である。主人公は,日々の仕事に追われ,将来の希望を失いかけているサラリーマン。出張中にシカゴの空港が雪で閉鎖され,一晩足止めを食う。そこで風変わりな老人に出会い,偶然のきっかけから言葉を交わすようになる。実は著名な実業家であったその老人との対話を通じ,主人公は自分を変えていくためのヒントと勇気を得ていく。

 根底にあるのは,「試してみることに失敗はない(Experiments never fail)」という姿勢である。目標は立てなくていい。目標にたどりつく前に,環境は変わってしまうのだから。唯一の目標は「昨日と違う自分になる」ということ。一つのことに勤勉に取り組むのは,宝くじを1枚買うようなものだ。当たる可能性はあるが,確率は低い。でも,気ままに飛びはね,変わったことを見つけ,それぞれに勤勉に取り組むならば,宝くじの枚数を増やすことができる。失敗するのは想定内。でも,枚数が多くなれば,当たる確率は増えていく。

 私の研究はそうやって進めてきた。時代遅れの技術と思われていた事象関連電位(脳波の一種)の研究を推進したことも,「かわいい」の心理学に取り組みはじめたのも,その例である。成功する可能性があったから研究したのではない。いろいろやってみて,運よくいくつかに芽が出ただけだ。

 成功している人をうらやんで真似することはない。君たちは君たちで,常に新しいことを探しつづけ,その一つ一つに真剣に取り組めばいい。私たちを取りまく環境は急速に変わっているのだから,大学時代に学ぶべきは「変わりつづける」という姿勢そのものである。これは頭で分かる知識というより,身体で覚えるスキルである。

 一言追加しておくと,何に挑戦するかを決めるときは,「それで誰かが喜ぶか?」を指針にするといい。誰かを笑顔にする。その「誰か」を鮮明にイメージできるようになることも,君たちのこれからの課題だと思う。

(2016年3月22日)

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